「オルダス・ハクスリーとは誰か?」
と聞かれると、すぐに小説『すばらしい新世界』の作者だと思い浮かびます。
世界的に有名な古典的小説『すばらしい新世界』はSFです。
SFはご存じのように未来を想像して書かなければなりません。
このことは、想像以上に創造的な作業です。
さて、小説家を含めた芸術家の中には、その創造性を上げるために、お薬(ドラッグ)に手を出す方もいらっしゃいます。
ドラッグによる副作用で見たもの、体験したものを作品にするというやり方ですね。
読者の中には、芸術家と聞くとドラッグと結びつける方もいらっしゃるのではないでしょうか?
偉大な小説家であるハクスリーは、本書『知覚の扉』というエッセイを通して、お薬と芸術家の関係を考えます。
本記事では以下のことが学べます。
2. ドラッグと薬の関係性についての意見
3. 創造的な問題はどのように解決できるか
4. ドラッグの危険性と無意味さ
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①ドラッグ「メスカリン」と他人の体験の得難さ
このエッセイは、小説家であり芸術家であるハスクリーが「メスカリン」というお薬を少量飲んで、そのお薬がどのような作用を自分の精神と身体に与えているのかをインタビュー形式で報告するします。
ハクスリーは、他者の理解の重要性、特に精神疾患を抱えた患者さんのようになかなか理解しづらい方を理解するために、メスカリンの研究に参加します。
肉体に包まれた精神はすべて、苦しいときも楽しいときも、孤独を運命づけられているのがその本性である。感情、気分、洞察、空想―これらはみな私事であり、表象を通してでなければ、また間接的にでなければ、伝達不可能である。体験についての情報はプールできるが、体験自体となると、これはできない。家族から国家にいたるまで、人間集団はみな島宇宙社会である。
島宇宙のほとんどは互いにかなり似通っているので、推し量って理解しあうことは可能であり、相互の感情移入、つまり「気持ちを汲む」ことすら可能である。したがって、わが身に起こった死別や屈辱を思い出して、類似の境遇にある他人を慰めることができるし、またそういう他人の立場にわが身を置いてみることもできる。
意志が即ち意思伝達の場所であり、この場所に住む者が狂人だったり特殊の才能を持っていたりすると、通常の男女の住む所在とあまりに異なるために、理解しようにも、あるいは感情を共有しようにも、その基礎となるべき共通の記憶がほとんどないか、皆無ということになる。
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②ドラッグの効果は限定的
このような動機ゆえ、ハスクリーはメスカリンを飲んで、状況報告しますが、依然普段と変わらないと言います。
期待に裏切られてがっかりする場面も見られます。
私の心象が独立した生命を持つのは、私が高い熱を出したときだけである。視覚化能力の高い人たちには、私のような内なる世界は単調で奥行の狭い、退屈なものに見えるに違いない。完全に別のものに姿形を変えるのではないかと期待した私の世界は、こういう世界だった。・・・この私の世界に現実に起こった変化はいかなる意味でも革命的なものではなかった。
まさに、ドラッグと創造力(あるいは想像力)との関係性はないとはっきり自覚した場面です。
ここから、お薬の効果が続く限りあらゆる物を見たり聞いたりします。
例えば、絵を見たり、音楽を聞いてみたり。
しかし、それでも、ドラッグによる知覚の変化はなかったのようです。
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③ドラッグは何の問題解決にならない
それゆえ、ハクスリーが達した結論が以下の言葉に表れています。
メスカリン服用者は開かれる啓示の合間合間に、ある意味では何もかもがあるべき姿をしていてこの上なく素晴らしいが、ある意味でどこかおかしいところがあると感ずる傾向を持っている。メスカリン服用者の抱える問題は本質的には静寂主義者や阿羅漢が直面したものと同じであり、また別の次元であるが風景画家や人体静物画家が直面したものでもある。メスカリンにはこの問題を解くことは絶対にできない。メスカリンはかつてそれに直面したことのない人たちのために啓示のように問題を提起することができるだけである。完全で最終的な解決は当を得た行動と自然に研ぎ澄まされた当を得た絶えざる注意力によって当を得た世界観を現実に生かす用意のある人たちにしかできない。
今や創造的な偉人の中に含まれているオルダス・ハスクリーですら、ドラッグと創造性との間に関係性はないとはっきり主張しています。
また、難問にぶち当たったり行き詰まっりした時には、ドラッグは役に立たないと言っています。
それらを解消できるのは、しかるべき行動を取っている人のみだと。
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④まとめ
最後に、ハクスリーは、まとめとして、我々人間の意味を問うている箇所があります。
これは、メスカリンの体験から抽象的思考について考察して出た結論です。
啓示を受けるとは、即ち、リアリティ総体をその内在的彼岸性において常に認識しながら、なおかつ動物として生存し人間として思考しかつ感じ、必要あるときは常に体系的論理を手段として取り得る状態にあり続ける、ということである。われわれの究極目的は、いまわれわれが常にあるべきところにあったということを発見することである。
現実回帰ではありませんが、メスカリンのようなお薬に頼るようではダメだということですね。
ハクスリーは夢を売る仕事をしていましたが、現実を重視するという何ともアイロニーのきいた粋なメッセージだと思います。
ハクスリーはメスカリンの実験を機に、絵のことや言語のことなどを哲学的に考えたりしています。
それこそ、過去の偉人の例を出して、自分の考えを述べている箇所もあり、面白いです。
このような作者の体験エッセイは、作者の人となりを知ることができ、作者の作品には表れない思想が読めたりするので興味深いとは思います。
しかし、私はこのような書籍はあまり好まない。
というのも、単なる体験記で終わって、「だから何?」という疑問が拭えないからです。
けれども、本書のように、ある程度のメッセージ性が多岐に渡っている場合は、読む価値はあります。
世界的な小説『すばらしい新世界』を創作したオルダス・ハクスリーですら、ドラッグによって創造性は上がらないと主張しています。
最近のニュースでは、危険ドラッグ等が話題に上っていいますが、決して自分の能力は向上しません。
また、興味のある方は是非とも調べていただきたいのですが、最近、倫理学の分野で「スマートドラッグ」の議論が話題となっています。
この問題は、また別の機会にとっておこうかと思いますが、ドラッグで頭が良くなったりはしません。
お薬は、病気の時以外、何の意味もないことを肝に銘じておくべきだとハクスリーは教えてくれています。
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