・恥をかかないような人間になりたい。
・恥ずかしい時私の体はどうなっているのか?
人間は恥をかく生き物。
何か仕事でやらかしたり、公衆の場でドジをしてしまうことはよくあること。
恥をかいて顔が赤くなり、穴があったら入りたい!
そんな恥をかく経験は誰にでもあります。
ところで、この恥というのは人間にとって重要な感情です。
以前、このブログで不適切発言とルース・ベネディクトの『菊と刀』について取り上げました。
前者では、社会言語学と哲学を元に、不適切発言をする方は、自分を否定的に見る視点である恥が欠如しているのではないかという仮説を立てました。
他方、後者の本では、日本は「恥の文化」だということが提唱されています。
それゆえ、この恥の欠如は、恥ずかしげもなく不適切発言を堂々と言える原因とも考えられます。
もしそうだとすると、不適切発言を堂々とする日本人政治家の例は「恥の文化」である日本文化の危機を象徴しています。
今回は、この不適切発言の大元である恥について、最近の神経科学(脳科学)と心理学の知見を頼りにして、そのメカニズムを解明します。
この考察により、恥のベースとなる自分を否定的に見る視点の欠如が浮き彫りになると思います。
ちなみに、不適切発言のブログ記事はこちらです。「不適切発言問題の原因|恥からの不適切発言の分析」
そして、ルース・ベネディクトの『菊と刀』の紹介記事はこちらです。「日本人論の原点ルース・ベネディクト『菊と刀』の概要」
どちらも、本記事と関係があります。
読むとより楽しめますので是非読んでみてください。
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①心理学・神経科学(脳科学)での恥の定義
恥(shame)の定義に関して、一致した見解はまだないと思われます。
しかし、神経科学(脳科学)の研究で使用されている恥の定義にはある程度共通点があります。
一つ目の共通点は、恥とは自己意識的(self-conscious)な感情である点です。
つまり、自分で自覚する感情だということです。
「これをすると恥ずかしいかも」という認識ですね。
ちなみに、Michl et al. (2014)によると、fMRIによる脳画像の研究で、二つの恥、つまり、英語で言うshameとembarrassmentの間には神経活動上の差がないことが示されていることです。
それゆえ、shameとembarrassmentは基本的に同一であり、embarrassmentはshameに含まれるという考え方が主流のようです。
二つ目の共通点は、恥とは他人の存在が必要な点です。
恥を覚えるときに他者のことがふと頭をよぎるという感覚ですね。
ある恥ずかしい行動をして、他人に噂されているということが思い浮かべば、恥が生じるということです。
上記の二点について、共通点を挙げました。
ここで一点注意するべきなのは、罪の意識(guilt)は、恥と似ていますが、異なるということです。
それは、Michl et al. (2014)の研究で行動データと脳活動の両方に差があることが示されています。
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②恥のメカニズムの推測
恥の定義の共通点を記述しましたが、その詳細な生物学的なメカニズムはどのように考えられているのでしょうか?
これにも二つあります(Mueller-Pinzler et al., 2016)。
一つ目が、「メンタライジング(mentalizing)」という認知機能です。
これは他者の視点に立って他者の評価・行動・意図などを把握する能力です。
恥の場合ですと、当事者が抱くであろうマイナス評価を読み取ったり理解したりすることです。
他人に噂される視点というとわかりやすいと思います。
二つ目が、社会的イメージへの影響です。
恥は自分の社会的イメージを崩壊させます。
「あの人はあんな行動をするとは思えなかった」という言葉が近いですかね。
自分の社会的な評判が崩れます。
それゆえ、恥が生じるということです。
このように二つのメカニズムが提起されていますが(Mueller-Pinzler et al., 2016)、私の興味は一つ目の「メンタライジング」のメカニズムの方です。
というのも、前回の不適切発言の記事では、自律的と他律的という区別を出しました。
この区別は、簡単に言えば自分で評価するか、他者が評価するかです。
前回ブログ記事の考察では、自分の否定的な評価だけではなく、他者の存在と他者による否定的評価も考察しました。
それゆえ、他者視点で物事を把握することは、他者による否定的評価に関わるからです。
恥には、この他者視点も必要なのでしょうか?
もし必要であれば、前回記事の考察をより発展させられるかもしれません。
③脳画像による評価
上図は、一つ目がMichl et al.(2014)のもので、二つ目がMueller-Pinzler et al. (2016)のものです。
両者の研究で共通しているのが、ACC(前帯状回)とmPFC(内側前頭葉)と側頭葉の脳活動です。
まず、ACCは、心理的葛藤でよく活動する部分です。
なので、恥はもしかしたら、自分の行動を評価して他者評価との葛藤を起こしている状態なのかもしれません。
次に、mPFCは、主に、メンタライジングに関連する脳部位です。
側頭葉も同様です。
つまり、脳画像の研究から、恥にはメンタライジングが関わっていることが示唆されました。
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③恥についての考察
前回の記事と今回の記事とを考慮しますと、恥には、自分の否定的評価と他者視点になって物事を考えることが必要になります。
前回記事で、哲学の研究から、恥の成立メカニズムを、「判断―視点」と「自律的―他律的」の2×2の四つの区分(A)~(D)で類型化しました。
そして、(B)判断が自律的で視点が他律的と(D)判断も視点も自律的の二つが恥のメカニズムでより重要だということが示唆されました。
前回の記事では、共通している「判断が自律的」であるということから、自分への否定的評価が重要だと結論付けました。
しかし、今回の研究結果では、他者視点であるメンタライジングが恥には欠かせないことが示されました。
このことから、結局、恥とは、(B)のように、他者を想定することが必要であるということが結論付けられます。
確かに、視点を自律的にしたところで、結局他者への評価が頭をよぎるようなことが論文に書かれていましたので、この結論は比較的妥当だと思われます。
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④恥の研究の注意すべき点と限界:まとめに代えて
ただし、今回の考察結果には、注意も必要です。
というのも、脳画像の研究は因果関係までは教えてくれないからです。
あくまでも相関関係のみです。
なので、「これらの脳部位のここが重要」というところまでは示されないのです。
あくまでも、脳画像研究は「これらの脳部位が関係していますよ」という程度です。
そして、脳画像の解釈も難しいところがあります。
というのも、違う認知機能でも同じ脳部位の活動が生じることが大半ですので考察の域を出ないのが現状です。
最後に、感情の研究は基本的に客観的に評価する指標がありません。
それゆえ、本当に脳画像撮像中に恥をかいたのかは「神のみぞ知る」です。
今回の紹介では、これらが限界でしょう。
それでもある程度、恥に関して示唆的な教訓が得られました。
他者への配慮なくしては恥もなしということです。
他者への配慮が欠如していると、不適切発言につながるのは納得できるのではないでしょうか?
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参考文献
Michl. P., Meindl. T., Meister. F., Born. C., Engel. R. R., Reiser> M., and Hennig-Fast. K. (2014). Neurobiological underpinnings of shame and guilt: a pilot fMRI study. Social Cognitive and Affective Neuroscience, Vol. 9, 150-157.
Mueller-Pinzler. L., Rademacher. L., Paulus. F. M., and Krach. S. (2016). When your friends make you cringe: social closeness modulates vicarious embarrassment-related neural activity. Social Cognitive and Affective Neuroscience, Vol. 11, No. 3, 466-475.
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