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日本人ってどんな人?日本人論の原点ルース・ベネディクト『菊と刀』から

・日本人ってどんな人?

・外国人からどのように見られているのだろうか?

・日本人の評判っていいの?

日本人は自分たちのことを知りたがる人間です。

書店に行くと日本人論を説くものが多い。

これまで様々な日本論日本人論が提唱されてきましたが、その古典と言われるものがルース・ベネディクトの『菊と刀―日本文化の型』です。

ルース・ベネディクトの『菊と刀』学校の教科書にもでてくる書籍ですが、ちゃんと読んだことがない人は結構多いのではないのではないでしょうか?

知っていたとしても、アメリカ文化を「罪の文化」と言い、日本文化を「恥の文化」と提唱したというくらいの認識しかないと思います。

私も、本書を読むまではそのような認識でした。

しかし、『菊と刀』を読めば、なぜルース・ベネディクトが日本を「恥の文化」と言ったのかがよくわかります

そう呼ぶまでの論理過程が個人的には重要だと思いました。

そして、単なる日本人論ではなく、実は結構現代にも関係している内容がたくさんあります。

そしてルース・ベネディクトは日本というものをよく勉強しているなと感心させられました。

本記事では以下のことが学べます。

1. ルース・ベネディクト『菊と刀』の概要

2. 外国人から見た日本人の特徴

3. 日本人はなぜ異質なのか?

4. 日本人が精神論や世間をやたらと意識する理由


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①ルース・ベネディクトの日本文化を研究するきっかけ

まず、なぜルース・ベネディクトが日本文化の研究をするようになったのか?

それは、日本がかなり異質な国だったからです。

本書の冒頭で次のように述べています。

日本人はアメリカがこれまでに国をあげて戦った敵の仲で、最も気心の知れない敵であった。大国を敵とする戦いで、これほどはなはだしく異なった行動と思想の習慣を考慮の中に置く必要に迫られたことは今までにないことであった。

そして日本人の性格は矛盾していると言っています。

日本人は最高度に、喧嘩好きであると共におとなしく、軍国主義的であると共に耽美的であり、不遜であると共に礼儀正しく、頑固であると共に順応性に富み、従順であると共にうるさくこづき回されることを憤り、忠実であると共に不忠実であり、勇敢であると共に臆病であり、保守的であると共に新しいものを喜んで迎え入れる。彼らは自分の行動を他人がどう思うのだろうか、ということを恐ろしく気にかけると同時に、他人に自分の不行跡がしられない時には罪の誘惑に負かされる。

このように、ルース・ベネディクトの混乱ぶりが表れています。

日本人には、アメリカ人などのように一貫した行動指針がないように思えたのです。

そこで、ルース・ベネディクトは、「日本人の生活のどこかに、そのような異様さを生みいだす、何かあるごく当たりまえの条件が存在するに違いないと考え」ました

これが、日本人研究の発端となりました。

ちなみに、研究対象としては、「市井の人」あるいは「平凡人」を選び、日本人の行動を徹底して文化人類学的に調べたのです。

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②研究結果1:階層的秩序(ヒエラルキー)への強い意識

ルース・ベネディクトが最初に日本人に見いだした特徴として、階層的秩序を挙げています。

ちなみに、この階層的秩序は後述する特徴の根底ともなる概念です。

かなり重要視しています。

日本は階層的秩序(ハイアラキー)を樹立するために闘わねばならない。この秩序の指導者はーそれはむろん日本である。何となれば、日本は上から下まで真に階層的に組織されている唯一の国であり、従っておのおのがその「所」を得ることの必要性を最もよく理解しているからである。

最も重要なものの一つは、その階層制度に対する信仰と信頼である。それは平等を愛するわれわれアメリカとは相容れないものであるが、しかしそれにもかかわらず、われわれは、階層制度ということによって日本は何を意味していたのか、またこの制度にどういう長所があると考えてきたのかということを理解する必要がある。

ルース・ベネディクトにとって、日本人の階層的秩序意識はとても大きなものだったのでしょう。

この階層的秩序意識は、会社の上下関係や年齢の若老だけではありません。

昔ながらの家族の中での上下関係や世間との間の上下関係、国と自分との関係性などあらゆるものに自分の階層的位置関係を見てとることです。

ルース・ベネディクトの述べる階層的秩序とはかなり意味が広いのです。

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③研究結果2:物質よりも精神論

次に、ルース・ベネディクトは日本人の精神性に関する観察結果を記述しています。

日本は必ず精神力で物質力に勝つ、と呼んでいた。なるほどアメリカは大国である、軍備もまさっている、しかしそれがどうしたというのだ、そんなことは皆はじめから予想されていたことであり、われわれははじめから問題にしていないのだ、と彼らは言っていた。

アメリカが終始一貫して物量の増大に専念していたように、日本は非物質的手段を利用する点において完全に首尾一貫していた。日本もアメリカと同じように、生産増強運動を起こさねばならなかったが、その運動は日本独特の前提の上にもとづいていた。彼らの言によれば、精神が一切であり、永久不滅のものであった。物質的な事物もむろん重要ではあるが、それらは二の次のもので長続きはしない。

日本人の精神論は筋がね入りのものだと思います。

敗戦ですら精神論を持ち出すほど、日本人の精神論信仰は根強かったのです。

ルース・ベネディクトがこのような結論を出したのは、捕虜兵士への聞き取り調査からです。

しかし、その日本兵士だけではなく国民すらも精神論で戦争を見ていたのです

驚きですが、今でもあまり笑えない事実ですね。

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④研究結果3:自分の位置の理解

先ほど①の階層的秩序意識のところで述べたことがより詳細に既述されています。

日本人は、自分がどのような立場であるのか、自分が他と比べてどの位置にいるのかを強く意識するのです。

いやしくも日本人を理解しようとするに当たって、まず取り上げねばならないのは、「各人が自分にふさわしい位置を占める」ということの意味について、日本人はどう考えているかということである。彼らの秩序と階層制度に対する信頼と、われわれの自由平等に対する信仰とは、極端に異なった態度であって、われわれには階層制度を一つの可能な社会機構として正しく理解することは困難である。日本の階層制度に対する信頼こそ、人間相互の関係、ならびに人間と国家との関係に関して日本人の抱いている観念全体の基礎をなすものであって、家族、国家、宗教生活および経済生活などの如き、彼らの国民的制度を記述することによってはじめて、われわれは彼らの人生観を理解することができる。

日本人の階層秩序意識から生まれる「自分の立ち位置」を理解することが日本人を理解する上でとても重要なのです。

この自分の立ち位置を階層的に理解する方法は、国際関係を考える時にも採用していたと述べています。

この理解が反映されている現象として、「言葉使い」をルース・ベネディクトは挙げています。

日本は近年いちじるしく西欧化されたにもかかわらず、依然として貴族主義的な社会である。人と挨拶をし、人と接触する時には必ず、お互いの社会的間隔の性質と度合いとを指示せねばならない。日本人は他人に向かって、Eat(食え)とか、Sit down(座れ)とか言うたびごとに、相手が親しい人間であるか、目下の者であるか、あるいはまた目上の者であるかによって別な言葉を使う。

この階層的秩序意識からの自己の立ち位置の理解は、個人の行動にまで浸透しているのです。

日本人は他のいかなる主権国にもまして、行動が末の末まで、あたかも地図のように精密にあらかじめ規定されており、めいめいの社会的地位が定まっている世界の中で生活するように条件づけられてきた。法と秩序とがそのような世界の中で武力によって維持されていた二百年の間に、日本人はこの綿密に企図された階層制度をただちに安全ならびに保証と同一視することを学んだ。

では、なぜここまで日本人は自分の立ち位置を意識して行動していたのでしょうか?

理由は単純で、単に安全や保証を得たいからだとルース・ベネディクトは述べます。

日本人が綿密な行動の「地図」を好みかつ信頼したのには、一つのもっともな理由があった。その「地図」は人が規則に従う限り必ず保証を与えてくれた。

確かに、それぞれの立ち位置からそれぞれの行動が導きだされると安心や保証はあります。

しかし、かなり窮屈な生活ですよね。

日本人の柔軟性に欠けるところや変化に弱いところがこの性質に反映されているようです。

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⑤研究結果4:過去と世間に負い目を感じる日本人

③まで見てきたように日本人は外や世間と比べての自分の立ち位置を理解しています。

その背景にはどういう意識があるのでしょうか?

それが、日本人の負い目だとルース・ベネディクトは結論します。

彼らは過去に負目を負うものである。西欧人が祖先崇拝と名づけているものの大部分は実は崇拝ではなく、また祖先にだけ向けられているのでもない。それは人間が過去一切の事物に対して負っている大きな債務を認める儀式である。さらに彼が負債を負っているのは、過去に対してだけではない。他人との日々の接触のことごとくが、現在におけるかれの債務を増大する。彼の日ごとの意志決定と行動とはこの負債から生じてこなくてはならない。

このような債務の倫理が円滑に行われるためには、各人がそれぞれ、彼が負わされている義務を履行するに当たって大した不快を感じることなしに、自分を大きな負目を負うものと考えるようになっていなければならない。われわれはすでに、日本において階級制度がいかに徹底的に組織されているかということを見てきた。この階層制度に付随する幾多の習慣が忠実に守られているいるために、日本人はその道徳的債務を西欧人には思いもよらなぬ程度にまで尊重することができるのである。

こうして、世間や外界に対しての負い目が日本人の行動を規定しています

その顕著な例として、「忠」や「孝」そして、「義理」などの繊細な概念を持ち出します。

これらの分析が日本人顔負けの分析なのですが、今回は割愛します。

この負い目が果たされなかったり、礼儀等が守られず、自分の名が汚されたりすることを極端に避ける日本人は、恥を嫌う民族とも言えるでしょう。

こうして、ルース・ベネディクトの有名な言葉が出てきます。

日本人は罪の重大さよりも恥の重大さに重きを置いているのである。

そして日本を「恥を基調とする文化」とし、アメリカを「罪を基調とする文化」としたのです。

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⑥まとめ

以上より、ルース・ベネディクト『菊と刀』の概要を見てきました。

まとめると以下のようになります。

  • 日本人はアメリカ人からすると他の民族と比べて特殊
  • 日本人の根底には階層的秩序意識がある。
  • 精神論を重んじる。
  • 過去や世間に対する負い目が階層的秩序意識の基盤となっている。
  • 日本は「恥の文化」、アメリカは「罪の文化」

日本は「恥の文化」だという意味の根底には、階層的秩序意識からの自分の立ち位置の自覚があるように思われます。

単に「恥の文化」だと言われても、なぜなのかがわかりません。

ここまで読んでようやく「恥の文化」の意味が分かります。

以前古典を読む意味について書いたことがあります。

なぜ古典を読む必要があるのだろうか?

この記事ですが、古典を読む意義として古典を読むことでしか得られないものを得るためということを挙げました。

ルース・ベネディクト『菊と刀』は、そのことが如実に現れている書籍のような気がします。

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