・彼氏からの束縛から逃れたい。
・先生の抑圧や強制から解放されたい。
こういった自由への希望は誰しも持つもの。
それでも、現実は厳しく、なかなか自由にさせてもらえない。
イノベーションや教育では「自由」がキーワードになっています。
自由な発想・自由研究・ブラック校則からの自由
そんな我々の行動を束縛するものを批判したのが、アイザイア・バーリンの『自由論』です。
J・S・ミルに次ぐあまりにも有名なバーリンの『自由論』は束縛が多い現代こそ読まれるべき名著です。
今回は、バーリン『自由論』を参考に自由と束縛について考えます。
本記事では以下のことが学べます。
2. 自由のあるべき姿
3. 自由とは?二つの自由に言及して
4. 不自由とはどういう状態か?
5. 自由の自覚こそが大事
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①自由の本来の意味
早速ですが、自由と聞いて何を思い浮かべるでしょうか?
自分の好きなことをしたり、他人に何も言われずに行動できたりすることですかね。
バーリンは、自由の基本的な意味を以下のように語っています。
自由の基本的な意味は、鎖からの、投獄からの、他人への奴隷からの自由であり、これ以外の意味は、この意味の拡張か、さもなければ比喩である。自由になろうとつとめるとは、妨害を取り除こうとすることであり、個人の自由のために戦うとは、その人の目的ならぬ他人の目的のために他人に干渉され搾取され隷属されるのを抑制しようとすることである。
つまり、バーリンは「〇〇からの解放される」という意味の自由こそが自由の根本的な定義だと考えています。
他人に左右されない生き方をする自由と言い換えてもいいと思われます。
例えば、「親の言うとおりにしなさい」と言われている子供がいたとします。
これは、親に隷属している状態です。
この言いつけという束縛から自由に行動することこそが自由なのです。
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②バーリンの二つの自由:消極的自由
ここで、バーリンが提唱した有名な二つの自由について見ていきます。
一つ目が、「消極的自由」です。
これは、先ほど説明した「〇〇からの自由」と同意義のもの。
自由という言葉・・・の政治的な意味の第一は、・・・次のような問いに対する答えのなかに含まれているものである。その問いとはつまり、「主体―一個人あるいは個人の集団―が、いかなる他人からの干渉もうけずに、自分のしたいことをし、自分のありたいものであることを放任されている、あるいは放任されているべき範囲はどのようなものであるか」。
これは先ほど見た自由の定義と同様ですね。
「親の言うことを聞きなさい」という親ではなく、自由放任主義の親の下、のびのびと育つことに当たります。
この自由と反対の状態が、「干渉」や「強制」されている状態です。
ふつうには、他人によって自分の活動が干渉されない程度に応じて、私は自由だといわれる。
強制には、わたくしが行為しようとする範囲内における他人の故意の干渉という意味が含まれている。あなたが自分の目標の達成を他人によって妨害されるときにのみ、あなたは政治的自由を欠いているのである。
バーリンの自由と呼ばれる行為の範囲はとても広いことがここからわかります。
というのも、干渉や抑圧から解放されるというその場限りの自由だけではなく、自分の目標という長期スパンの行為を邪魔されないことも自由として捉えているからです。
この点は、単に、「今自由である」という一時点のみならず、どの時点でも「自由である」と言える状態も含む自由なのです。
J・S・ミルの『自由論』をご紹介した以前の記事「自由論の土台としての表現の自由・意見の自由・議論の自由」では、議論の自由がキーポイントだと述べました。
ミルの場合、「権利の自由」を説くことが一つの自由だったのです。
一方、バーリンは、干渉や強制のない「状態の自由」こそが自由だと主張しているように思えます。
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③バーリンの二つの自由:積極的自由
バーリンは、消極的自由だけではく、自由にはもう一つの側面があることも示唆しています。
それが「積極的自由」です。
第二の意味・・・は、次のような問い、つまり「あるひとがあれよりもこれをすること、あれよりもこれであること、を決定できる統制ないし干渉の根拠はなんであるか、まただれであるか」という問いに対する答えのなかに含まれている。
自由の「積極的」な意味は、「わたくしにはなにをする自由が、あるいはなんである自由があるか」という問いにではなく、「わたくしがだれによって統治されているか」または「わたくしがなんであるべきか、なにをなすべきか、なんであるべきでないか、なにをなすべきでなか、ということをだれがいうことができるのか」という問いに答えようとするときに、明らかになってくるものなのだ。
少し難しい表現ですが、つまりは自分からある行動を選び取る自由という意味だと思います。
自分の行動を自分で選び取り、自分がどういう人間であるべきかを自分で考えて選び取る。
そういう自由が積極的自由です。
バーリンの言葉では、
自由の積極的概念、つまり、からの自由freedom fromではなく、への自由freedom to
と表現されています。
「〇〇への自由」とは、まさに自分のなりたいものに自分から成りにいく自由です。
「スーパーで三つの商品から選ぶ」という自由ではなく、自分のまさにほしい商品を買いに行くという自由なのです。
この自由も、「状態の自由」を表しています。
何かへと積極的に向かう姿勢が問われる自由なのです。
バーリンの言葉でまとめると積極的自由は以下のような自由です。
「自由」という言葉の「積極的」な意味は、自分自身の主人でありたいという個人の側の願望からくるものである。わたくしは自分の生活やさまざまの決定をいかなる外的な力にでもなく、わたくし自身に依拠させたいと願う。・・・なかんずくわたくしは、自分が考え、意志し、行為する存在、自分の選択には責任をとり、それを自分の観念なり目的なりに関連付けて説明できる存在でありたいと願う。
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④自由の自覚について
最後に、バーリンがなぜこれらの自由を提唱したのか?
そして、本書『自由論』を記した意味について考えます。
本書を読むとさまざまな議論や意義が見出されます。
しかし、あえて自由の提唱という点に焦点を絞ると、「自由の自覚」こそが大事だと思われます。
バーリンはこう述べています。
われわれは専制君主―制度あるいは信仰あるいは神経症―によって奴隷とされている。これを取り除くことができるのは、分析と理解のみである。われわれは自分で―自覚的にではないにせよ―つくり出した悪霊によって繁縛されている。これをはらいのけることができるのは、ただそれを意識化し、それに応じた行動をとることによってのみである。
政治的な話題になっていますが、我々を拘束・束縛する専制君主に対抗するには、専制君主への分析と理解が必須。
そして、専制君主も人間が作りだしたもの。
だからこそ、自覚的にこのことを意識し、対抗行動を起こすべきだと解釈できます。
自由を妨害するものを明確に意識化することが大事なのです。
つまり、「〇〇からの自由」である消極的自由と「〇〇への自由」である積極的自由がここでは意識化されるものの前提となっています。
奴隷状態の自分から消極的自由と積極的自由を自覚し、自ら誰にも干渉されない行動へと向かうのです。
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⑤まとめ
以上が、バーリン『自由論』の一部概要です。
まとめると以下のようになります。
- 自由の根底には、何にも干渉・束縛されない状態がある。
- 消極的自由とは、「〇〇からの自由」であり、誰からの干渉から抜け出る自由である。
- 積極的自由とは、「〇〇への自由」であり、自分のなりたいものへ誰からの干渉も受けずになる自由である。
- 自由の自覚こそが、全ての干渉から逃れるための第一歩であり、自由の自覚こそが自由の行動へとつながる。
バーリンの述べる自由は、とても身近に感じます。
まさに、親からの束縛や上司や会社からの拘束などあらゆる人に当てはまる状況を想定しています。
本人は政治の話をしていますが、現在不自由に悩む人にとって救いとなる一冊になるでしょう。
読む価値ありのおすすめの本です。
是非購入して読んでみてください。
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