政治/politics 本・解説/Book・Review

頭でっかちの合理主義では政治は動かない!実践知を問う政治論

・政治って理論的でなんかわかりにくい。

・合理的な政治っていうけど何?

・政治ってもっと庶民向きにならないかな?

毎日ニュースで見る政治

日頃から目にするけど、いざ理解しようとすると難しい。

政治理論や論理を重視しすぎていて頭が痛くなりそう。

政治を理性的に進めるのはいいけど、もっと庶民の経験とか意見を取り入れてくれないかなとよく思います。

例えば、「保育園落ちた、死ね」などの発言はまさにこの問題を象徴しているように思えます。

他にも、行政主導でやるのではなく、地域の慣習や風習・伝統なども取り入れたらいいのにと思う方もいらっしゃと思います。

まさに、このような行政主導の頭でっかちな理性重視の政治を批判したのが、マイケル・オークショット『政治における合理主義』です。

政治は理性や理論や合理性だけではないと強く主張しています。

この書籍はオークショットの論文集なのですが、その中の代表的な論文である「政治における合理主義」を取り上げます。

本記事では以下のことが学べます。

1. オークショット『政治における合理主義』の概要

2. 合理的な政治理論である合理主義について

3. 合理主義の問題点と批判

4. 合理主義がなぜ生じ、席巻したか。

5. 保守的思考について

6. 知識の二形態について


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①政治の合理主義とは何か?

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まず、表題にもなっている政治の合理主義とは何でしょうか?

根底では彼は、あらゆる場合における精神の独立、つまり「理性」の権威を除く他のいかなる権威に対する責務からも自由な思考、を唱道する

つまり、私たちが考えるという理性に重きを置くという考え方ですね。

彼の精神的態度は、懐疑的であると同時に楽観的である。懐疑的であるというのは、あまりにも強固に根差し広く受け入れられているので彼が疑問に付して彼の「理性」と呼ぶものによって判定を下すのをためらうというような意見、習慣、信念など何もないからであり、楽観的であるというのは、合理主義者は決して、物事の価値、意見の正しさ、行為の適切さ、を決定する彼の「理性」の・・・力を疑わないからである。

この理性を重んじる合理的思考で判断できないものは何もないと言っています。

理性で疑ってかかるのに、理性に頼っていればなんとかなると。

そのくせ、理性自体や理性が下したことを疑ったりはしないのです。

人間が合理的に出した結論なのだから正しい。

間違った方向にはいかないと高を括っています。

その意味で、懐疑的と楽観的とが交差する思想が合理主義だといえるでしょう。

両方とも楽観的なような気がしますが、オークショットはそう言っています。

彼は、何物にも妨げられない人間「理性」が(活動させられさえすれば)、政治活動における誤りなき指針だ、と信じている。

もはや「理性教」と呼ぶ方が近いくらいです。

それくらい人間理性が下す判断を重視している。

そして、この思想の行きつく先が、「完全性の政治」と「画一性の政治」であり、両者の統合です。

合理的選好でない選好のための場所はあり得ず、そして全ての合理的選好は、必然的に一致せねばならない。政治的活動は、人間行態・・・の上に完全性の画一的条件を課することとみなされるのである。

つまり、合理的理性の働きによって政治に関わる全てのことを完璧にします。

そして、全ての人間の考え方はこの合理的理性に一致するはずだから、皆画一的思考に行きつくというわけです。

管理社会を描いたオーウェルなどの世界観が思い出されます。

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②合理主義に欠けている要素

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もちろん、合理主義には多くのものが欠けています。

大きなものは、経験や伝統・遺産です。

過去の偉人たちが残したものなどが挙げられます。

彼には経験の蓄積という感覚がなく、経験が一つの定式に転換されている場合にそれを受け入れる用意があるに過ぎない。過去は彼にとって邪魔物としての意味しかもたないのである。

「洗練、一つの遺産の享受」がない。

彼の社会の伝統的知から自分を切り離し、分析の技術以上の教育はすべてその価値を否定したことで彼は、人間に対して人生のあらゆる危機についての必然的無経験を帰す傾向

があります。

先人がこれまで築いてきた伝統などをないがしろにします。

それゆえ、合理主義の文化には洗練さや一種の貫禄のようなものがないのです。

このように、伝統や遺産を大事にする考え方は、エドマンド・バークらも重視した保守的考え方です。

合理主義に対抗して今回は登場します。

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③二つの知識の形態:技術知と実践知について

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ここでオークショットは、知識の形態について言及します。

彼によれば、大きく二つの知識があると言います。

この知識論は後の合理主義の批判にもつながるので大事です。

(A) 技術知

まず挙げたのが技術知です。

これは何でしょうか?

全ての芸術と科学、全ての実践活動には、ある技術が含まれる。多くの活動においてこの技術知は、意図的に学び、記憶し、そしていわゆる実践に移される、またはそうされるはずの、諸ルールへと定式化される。・・・それの主な特徴は、それがそのような定式化を許すものであるというところにある。

つまり、何をどのようにするかを一定の定式にしたものです。

絵の描き方とか音楽の作り方とかですね。

技術知は、ルール、原理、指示、格言の内、つまり命題に残らず定式化することが可能である。技術知を本の中に書き留めることが可能である。

厳密な定式化ができるというこの性質が、技術知に少なくとも確実性の外観を与えるのだと見てよいかも知れない。

技術知は明文化可能なものであり、本の中に書き残すことができる知識です。

技術知は、本から学ぶことができるのであり、通信コースで学ぶこともできる。さらにそれの多くは、暗記し、そらで繰り返し、機械的に適用することができる。

誰でも、本を読んだり通信コースを受けたりすることで、学習できるのが技術知の大きな特徴です

まとめると技術知とは

  • 何をどのようにするかを定式化したもの
  • 明文化でき、本に書き写せる
  • 本や通信コースなどで誰でも習得することができる

この三要素がそろった知識だと言えます。

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(B) 実践知

二つ目に挙げたのが実践知です。

これは何でしょうか?

使用の内にのみある・・・これは反省的なものではなく、(技術とは異なり)ルールに定式化することができない。・・・伝統知と言うことも誤りではない・・・あらゆる活動には、この種の知もまた含まれているのであって、どんな技の習得やどんな具体的活動の遂行も、それなしには不可能なのである。

実践知は、技術知と異なって定式化することが困難な知識です。

しかし、実践知なしには人間は活動が行えないとも言っています。

定式化ができないのが、実践知の特徴である。それの普通の表現は、物事を行う慣習的、伝統的やり方の中、つまり実践の中にある。そしてこのことは実践に、不明確、その結果不確実、見解の問題、真理ではなく蓋然性、という外観を与えるのである。

伝統などで代々受け継がれてきた型のようなものです。

歌舞伎とか伝統舞踊とかが実践知に入るかもしれません。

他にも、鉛筆の動かし方や書き方などの無意識に行っている慣習的な動作も入ります。

しかし、技術知とは違って、明文化できないため、不明確な知識と言えます。

他人に説明するのが難しいのです。

なので、定式化できない。

他方実践知は、教えることも学ぶこともできず、伝え(impart)、習得する(acquire)ことができるだけである。

それを習得する唯一の方法は、名人への弟子入りによる方法である。弟子になればそれが習得できるのは、師匠にそれが教えられるからではなく(彼はそれができない)、それを絶え間なく実践している者との継続的接触によってのみ、それを習得することができるからである。

師匠と弟子の関係になって、師匠の技を何度も見て覚えるしかないのです。

口頭で説明できませんから。

まとめると実践知とは、

  • 定式化が困難
  • 伝統や習慣的な動作などのような実践である
  • 師匠と弟子関係になって見て覚えるしかない

この三つの要素がそろった知識と言えます。

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④合理主義は実践知に欠ける

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ようやく合理主義の問題点の指摘と批判です。

合理主義とは、私が実践知と呼んだものはまったく知ではないのだ、という言明のことであり、正しく言うなら技術知以外の知などないのだ、という言明のことである。合理主義者の立場からは、あらゆる人間活動に含まれる知の唯一の構成要素は技術知であり、私が実践知と呼んだものは、実際にはある種の無知であって、たとえ積極的に有害でないとしても無視できるものだ、とされる。

言いたいことは単純明快で、合理主義は技術知のみ重視していて、実践知を全く度外視しているということ。

合理主義は、曖昧さを嫌います。

まさに、不明確な実践知は考察の対象外です。

オークショット曰く「合理主義者の確実性に対する執着」です。

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⑤合理主義はなぜ生まれたのか?そのルーツを探る

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最後に、オークショットの目的でもある合理主義のルーツを探ります。

彼は端的に以下のように述べています。

この瞬間は、十七世紀初頭

オークショットは、ルーツを探ると様々な考察をしないといけないけれど、この十七世紀初頭が一番重要であり、この時代に議論を集中させています。

この時代は、フランシス・ベーコンやアリストテレス的な科学観で満たされている時代でした。

しかし、

欠けているように見えたのは、探求の霊感でもその組織立った習慣でさえもなく、探求のための自覚的に定式化された技術、解釈の技芸、それのルールが書き留められている方法、であった。そしてこの欠如を埋める営みが、私が合理主義と呼んだ新しい知的性格の紛うことなき誕生の機会となったのである。

つまり、当時の科学観に欠けていた定式化の要素を埋め合わせる形で、合理主義が生まれたのです。

合理主義の歴史は、・・・技術至上の信条が知的活動のあらゆる分野を席巻して行く歴史でもある。

十七世紀には、「思考術・・・」であったものが、今やあなたの頭脳とその使い方、通常の費用のほんの一部しかかからぬ世界的に有名な専門家達が立てた思考訓練プラン、になったのである。生活の仕方であったものが、成功のテクニックになり、教育に対する初期のもっと穏やかな技術至上の侵入は、ぺルマン式記憶法になったのである。

合理主義は、最初は埋め合わせとして生まれた思想ですが、現在は、日常生活にまで浸透する思想にまでなっているのです。

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⑥まとめ

以上がオークショット「政治における合理主義」の概要です。

まとめると以下のようになります。

  • 理性に重きを置き、理性に従えば間違いないというのが合理主義
  • 合理主義は、経験や慣習などを除外している
  • 知識には、定式化可能な明確な技術知と定式化困難で不明確な実践知がある
  • 合理主義は、実践知を度外視している
  • 合理主義のルーツは、十七世紀初頭で、当時の科学観に欠けていたものを埋め合わせる形で登場し、現在は日常生活にまで広がっている

オークショットの言いたいことは分かりますが、疑問もあります。

まず、実践知を具体的にどのようにして政治に根付かせるかです。

一人一人の国会議員が師匠になって次代の国会議員を育てるなんて悠長なことができるとは到底思えません。

二つ目は、伝統や慣習を重視するというのはわかるのですが、目まぐるしく変化し過去に無かった問題が生じている現代で、経験や伝統などに頼ることには限界があります

カール・ポパーは『歴史主義の貧困』で論理的に「歴史は繰り返さない」と主張しており、ますます将来は伝統や経験の要素を強めても太刀打ちできないと思われます。

このように課題はありますが、読んでいて面白いと思いました。

読む価値ありです。

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