小説家に必要なのは感性だと思っていませんか?
なかなか文章が進まず、書いては消してを繰り返す苦悶の日々。
自分には感性が足りないのではないか、才能がないのではないのかと問いかけて悩む。
そして、その問いが負のスパイラルを生み、そこから抜け出せない。
その状態のまま文学賞に応募するも落選して落ち込む日々が続く。
年齢が進むだけで文書は少しも進まないという焦り。
大きな文学賞だと、応募数は2000を超える。
そんな苛烈な競争に生き残れるのだろうか?
世間には文章講座や文学セミナーなどはたくさんある。
しかし、正直これらの講座やセミナーは胡散臭い。
かといって、書店に並ぶ文学書を読んでも抽象的な内容が多い。
私も興味本位でこのような文章術のセミナーに参加したことがあるが、名前も知らない小説家が自分の体験談を語って終わるのが定石だ。
そんなのは一向に役に立たない。
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しかし、小説家に必要な資質が実は感性ではなく、はっきりと誰にでも体得できるものだとしたらどうだろう?
それなら明日からでも実践できるし、その資質さえ知れば私一人で文章が書けるようになる。
ゆくゆくは、名の知れた小説家になれるかもしれない。
応募する文学賞で次々と受賞し、芥川賞や直木賞も夢ではなくなる。
小説家として自分の好きな文章を書いて生きることができるようになる。
ポール・ヴァレリーは、『文学論』で感性や才能など生まれつきの資質については語らない。
ヴァレリーの『文学論』ではまさに「知性」こそが小説家の最大の資質だと言う。
知性とは、文章の構成を考えたり、どのような文章を作るかというような基礎的な能力だ。
これならだれにでもできる。
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重要なのは、この文章の構成を徹底して行うことが、優れた作品を生む秘訣だということ。
- 「一篇の詩は、「知性」の祝祭であるべきだ。・・・人は言語の持つあらゆる可能性を組織立てなければならない。」
- 「急いでいて何を食べているのかもわからずにいる人が食べたり飲みこんだりするような調子で、文句を無意識に書くのでない人が作家」
- 「多くの作家は、彼らの芸術の、不可欠な条件は、まずはその技に熟達するにあるとは考えずに、それを運試しの一六勝負だと考えている。」
- 「文学には、それが知的動物の高級な練習だという以外には、なんら尊ぶべき点はないのだ。だからこそ文学は、この動物の精神上の能力すべての発動、しかもそれが最も正確に、微妙に、有力に作用して、ただそれが活動し、または発動したのみの結果だという感じを与える照応的な共鳴的な活動を現わすことを必要とするのだ。・・・隠されていると、現われているとの別なく、とにかく知能が働いていなければならない。・・・文学は、先に僕があげた作用のいずれの一つをもみだりにかつ不都合なしに失うことはできない。さもないと文学はより冷ややかな、より明徹な観点によって左右されることになるはずだ、―いな、文学は常にそれによって左右されている。」
- 「文章法は魂の能力だ。」
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これらはいずれも本文の引用だが、どうだろう?
いずれも今からでもできることを述べている。
ちゃんと意識を張り巡らして文章を作ることが重要なのだと述べている。
そして、極めつけは、技術と習練がモノを言うということだ。
技術は練習の積み重ねで会得するもの。
この単純な方法を愚直に行えば、偉大な小説家になれるのだ。
習練に関しては、小説家バルザックの『知られざる傑作』でも同じことが言われている。
偉大な作家に共通する資質だと言える。
ヴァレリーの『文学論』では、他にも多くの格言と作家論がふんだんに盛り込まれている。
多様な視点から徹底的に文学を語っているのだ。
作家を目指す人や文章に悩んでいる人も、やることは一つ。
まずは、ヴァレリーの『文学論』を買って読むことだ。偉大な詩人ヴァレリーの文章術を堪能することができる。
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