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芸術の限界点:ラオコーンから見る文学と絵画との比較分析から

・文学論って人それぞれなのかな?

・たくさんの文学論があるけどどれを読めばいいのかな?

・文学と絵画の長所短所を知りたい。

日本には、たくさんの文学論があります。

大半が、文学を褒めるものであり、文字の芸術である文学にできないことはない」と主張する作品が多いです。

しかし、文学にも限界はあります

それを絵画との比較により浮き彫りにしたのが、レッシングの『ラオコオン 絵画と文学との限界について』です。

従来の文学論にはない斬新な視点と論理的な記述は一読に値します

文学論といえば、「感性が・・・」とか「感動が・・・」とか主観的かつ抽象的なことをばかりで飽き飽きします。

しかし、本書は、読んでいて飽きません。

というのも、その論理明快で痛快な文学論だからです。

ではどういう内容なのか?

早速見ていきましょう。

本記事では以下のことが学べます。

1. レッシング『ラオコオン 絵画と文学との限界について』の概要

2. 絵画芸術の限界点

3. 文学芸術の限界点

4. 理想的な芸術とは何かについて


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①文学と絵画との関係性について

まず、絵画と文学の関係性について、レッシングは問題提起しています。

最近の芸術批評家の多くは、そのような差異は全く存在しないかのように、絵画と文学ともに一致するというあの考えから出発して、まるでつじつまの合わない結論を引き出している。彼らは、文学を絵画の狭い枠の中に押し込めるかと思うと、こんどは絵画を、文学の広い領域いっぱいに広げようとする。一方にあてはまることは、すべて他方にも許されてあるはずただというのである。・・・同じ主題を扱った詩人と画家の、それぞれの作品に見られるところの差異を欠点だと見なして、評者自身の好みが文学に傾いているか絵画に傾いているかに応じて、画家または詩人にその責任を負わせるのである。

つまり、本来、絵画と文学とは別物。

なのに、それを一緒くたにして、それぞれから生じる表現上の差異がダメだという似非批評家がいるとレッシングは嘆いています。

このように、絵画と文学を一緒とみなす論理を反論するのが本書の目的の一つです。

そして、二つ目の目的として、表題にもあるように、文学(詩人)と絵画(画家)の限界点を探ることです。

具体的には、ラオコオンという作品とホメロスの文学を主な題材として取り上げのですが、その分析は緻密で説得力があり、興味深い。

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②文学(詩人)ができることと絵画(画家)ができること

まず詩人に関して、どの程度のことが文学でできるのかを考察しています。

一体詩人はどの程度まで肉体の部を描くことができるか、・・・次のことだけは議論の余地がない。すなわち、詩人の描写には広大無辺の完全性の世界が自由に与えられているのだから、完全性が美として造形される場合のこうした目に見える外皮は、詩人がその描く人物にわれわれの関心を集めるためのごくささやかな手段の一つにすぎない、ということである。

後でも述べていますが、文学は、視覚に頼る必要もなく魅力的な人物や自然を描写することができます

レッシングは、彫刻などの造形美術よりも、文学の方がより広く表現できると言っています。

形の描写は、文学の一部という感じですね。

外面的な記述は、その描写により人物や自然に読者の関心を集めるための手段として働きます。

さらに詩人は、その叙述を唯一の瞬間に集中する必要もない。詩人は、その事件の一つ一つを、思うままにその事の起こりから書きはじめて、考えられるあらゆる変化を通して終局に導いてゆく。こうした変化の一つ一つは、造形芸術家にとっては、それだけでまとまった一つの作品になるほどのものであるが、詩人にとってはただのひと筆にすぎない。そしてこのひと筆は・・・先行部分によって準備されたり、後続部分によって緩和または調整されて、その個々の印象を失うとともに、全体との結びつきにおいて世にもすばらしい効果を発揮するのである。

この引用から、若干文学びいきの印象を受けるかもしれません。

造形美術は、ある出来事の一瞬を芸術にしたものです。

他方、文学は事象のある一瞬だけではなく、過去や未来なども含めて連続したものとして描けます。

だから、造形美術の題材は、文学ではひと筆で終わるのです。

文学では、「○○(という事象)があった」と表現すれば十分ですからね。

文学はその表現の自由度、例えば、ある事象だけではなく、その過去や未来も描ける自由性があり、個々の描写が全体としてまとまると素晴らしいものになるという性質を持っています。

この性質は、造形芸術(絵画)にはない点だと思われます。

この記述の後に、ラオコオンの描写と絵についての比較考察が論理的に述べられており大変面白い内容となっています。

なるほどとうなされます。

そして、その考察の結果たどり着いたのが、

すぐれた詩的描写は、同時にまたすぐれた実際の絵画を生み出すにちがいないという命題、また、詩人の描写は、美術家があらゆる点でそれに従うことができる限りにおいてのみすぐれたものと言うことができる、という命題は、おのずから制限を受けることになる。

という結論です。

同一の内容を記述した優れた詩から、優れた絵画を生み出せるという考えを否定しています。

あくまで、文学と絵画では描くものが異なるということです。

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③文学の優位性と絵画の限界

上記の引用から、文学の自由性が出てきています。

しかし、文学一体どこまで表現することが可能なのでしょうか?

一つが、神々の透明な姿をどう描くかという問題を挙げています。

文学では透明な神を描写するのは容易だが、絵画では透明な神を描くのは困難であるという議論。

二つ目が、否定的な表現です。

絵画だと否定的な表現は観客の興をそぐといいます。

一方、文学では、「否定的な表現で描く技法、および否定的表現と肯定的表現とを混用して二つの姿を一つにまとめる技巧を持っている」と述べています。

三つ目は、詩の持つ音楽的な部分、韻律や言葉の響き、テンポといった表現技法ですね。

そして、絵画と文学との明確な違いを打ち出します。

両者のあいだには、次のような本質的な違いがある。すなわち、前者(文学)は目に見える継起的な行為であって、そのさまざまの部分は、つぎつぎに、時間の経過とともに起こるのに反して、後者(絵画)は、目に見る静止的な行為であって、そのさまざまの部分は空間中に並存しながら展開するのである。

つまり、時間的流れに沿って行為事象を記述できるのが文学だけで、絵画は、同じ行為事象を描いても、空間的に止まったものとしてしか描けないのです。

絵画の表現上の限界を指摘しながら文学の限界もほのめかしているところですね。

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④文学の限界

この後に、文学の限界が述べられます。

一つ目は、文学は行為を記述するが、一つのことに集中するため、並列的に生じる事象を記述しにくいという点です。

行為は、自分だけ独立に在ることはできず、かならずなんらかの存在と結びつくものである。さて、こうした存在が物体であるが、ないしは物体とみなされるかぎり、文学は物体をも描写する。ただし、行為を通してただ暗示的に描写するだけである。

太郎と花子が一緒に食事している場面を想像してみてください。

文学では、太郎の食事と花子の食事を別々に描くしかないです。

太郎と花子を同時に時系列的に描くことはできません。

一方、絵画だと、太郎が鮭をつまんでいるシーンと花子が笑っているシーンの両方を一気に描くことができます。

二つ目が、行為事象の全体を描けないことです。

全体の概念もまたより鮮やかなものとなるためには、その個々の部分が目立ってはならない。より高い光がすべての部分を均等に照らさなければならない。実際にはいちどきに見ることのできるものを、もろもろの部分からやはりいちどきに組み立てるためには、われわれの創造力も、同じ速さですべての上に行きわたることができなくてはならない。・・・詩の描写は、線と色とが画布上に表現しうるものとはくらべようもないほど劣っている。

レッシングが本文中に挙げている例によれば、主人公が甲冑を着ている描写を一気に描くことができません。

その場合どう描くかというと、甲冑を切るシーンを描くという表現方法に頼ることになります。

「金ぴかの靴を履いて、鉄製の足当てを履いて・・・」という具合にです。

このように、文学にも表現上の限界があって、まとめると絵画にある「一気性」がないということになります。

まとめとして以下のように述べます。

物体的な美は、いちどきに見わたすことのできるさまざまの部分の調和的効果から生まれてくる。したがってそのためには、これらの部分が並存していることが必要である。そして、その各部分が並存しているところの事物は、絵画の本来の対象であるから、絵画は、そして絵画のみが、物体の美を模倣することができる。

それゆえに、美の諸要素を継起的にしか示すことのできない詩人は、物体的な美を、美として描写することを全く断念する。これらの諸要素は、継起的に並べられると、並列的に並べられた場合の効果をあげることは不可能であること、それらの諸要素を列挙したあとで、すぐさまとって返して全体を見わたそうとしても、けっして調和的なイメージは浮かんでこないこと、この口、この鼻、この目がいっしょになってどんな印象を与えるかを想い描くことは、もしわれわれが自然あるいは芸術から、そのような部分の似たような組み合わせを思い出すことができないかぎり、人間の想像力を越えるものであるということ、こういうことを詩人はよく知っているのである。

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⑤まとめ

以上が、レッシング『ラオコオン 絵画と芸術の限界について』の概要と核心になります。

まとめると以下のようになります。

  • 優れた文学から絵画が生まれるということは言えない。
  • 絵画には、過去や未来などの時間の連続を描けない。
  • 文学は、あるばらばらなシーンを一気に描くことができない。

細かい部分や芸術作品の具体的な分析などを省いたので、若干抽象的になってしまいましたが、レッシングはちゃんと論理の具体性も補っているので、ぜひ原著をお読みください。

また、他にも、芸術論として興味深い意見が山ほどあります。

今回は論理の一貫性と分かりやすさを重視したので省きましたが、読む価値ありです。

芸術論でもしばしば引用されるレッシングの名著を是非読んでみてください。

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