「新自由主義」
この言葉を聞いたことはありますか?
聞いたことない人もいれば、よくご存じの方もいらっしゃると思います。
過去のコリン・クラウチに関する記事「一部の上級エリートばかりが恩恵を受けるのはなぜ?政治の腐敗と経済」で新自由主義のことについて少し触れました。
よくニュースで、
「政治に私企業が関与していいのか?」
とか
「教育にビジネスを導入するなんてけしからん」
とか言われるように、大まかに言えば、新自由主義とは、公的な領域に市場原理が関与することです。
以前は、新自由主義がどのような経済・政治思想なのかということまで言及しませんでした。
しかし、この新自由主義は現代の政治経済圏で大問題を引き起こしております。
そこで、現代資本主義に蔓延している中心思想だと言っても過言ではありません。
今回は、「新自由主義」に関して深い考察と興味深い仮説を提示している、デヴィッド・ハーヴェイの『新自由主義ーその歴史的展開と現在』に沿って「新自由主義」とは何かについて考えたいと思います。
本記事では、デヴィッド・ハーヴェイ『新自由主義』のほんの一部だけをご紹介します。
後半が気になる方はこちら「広がる新自由主義の理想と現実:政治経済上の問題点と批判」
本記事では以下のことが学べます。
2. 新自由主義とはどのような思想なのか?
3. 新自由主義の意外な誕生と展開
4. 新自由主義はどのように人々に受け入れられたのか?
5. 新自由主義の浸透によって何が起こったのか?
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①新自由主義とはどのような思想なのか?:その定義
まず、新自由主義とはどういった思想なのか?
ハーヴェイは序文で次のように定義しています。
新自由主義とは何よりも、強力な私的所有権、自由市場、自由貿易を特徴とする制度的枠組みの範囲内で個々人の企業活動の自由とその能力とが無制約に発揮されることによって人類の富と福利が最も増大する、と主張する政治経済的実践の理論である。
新自由主義が明確に定義されています。
TPPのような貿易の自由化を推進し、関税の撤廃などを通して市場の自由も主張します。
なにより、政府の干渉は最小限にし、基本的には企業の活動が自由に行われる。
それによって、人々の幸福も最大になるという考え方です。
では、国家の役割はどうなるのか?
国家の役割は、こうした実践にふさわしい制度的枠組みを創出し維持することである。たとえば国家は、通貨の品質と信頼性を守らなければならない。また国家は、私的所有権を保護し、市場の適正な働きを、必要とあらば実力を用いてでも保証するために、軍事的、防衛的、警察的、法的な仕組みや機能をつくりあげなければならない。さらに市場が存在しない場合には(たとえば、土地、水、教育、医療、社会保障、環境汚染といった領域)、市場そのものを創出しなければならないー必要とあらば国家の行為によってでも。だが、国家はこうした任務以上のことをしてはならない。市場への国家介入は、いったん市場が創り出されれば、最低限に保たれなければならない。なぜなら、この理論によれば、国家は市場の送るシグナル(価格)を事前に予測しうるほどの情報をえることはできないからであり、また強力な利益集団が、とりわけ民主主義のもとでは、自分たちの利益のために国家介入を歪め偏向させえるのは避けられないからである。
少し長くなりましたが、個人の経済的自由が最大限に生かされる制度を作るのが国家の役割です。
個人の自由に制限がかからない範囲での国家の市場介入は容認されるのです。
さらに、水道や電気事業のように市場がそもそもなかったところには、国家は市場を作らないといけない。
そうすることで、経済原理の介入や市場の範囲の拡大を図るのです。
それゆえ、「新自由主義的思考の主な特徴は、個人の自由は市場と商取引の自由により保証されるという前提に立っている」ことになります。
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②新自由主義の台頭と展開
では、新自由主義はいつ生まれたのでしょうか?
デヴィッド・ハーヴェイはその時期をはっきりと述べています。
それが、1970年代以降だというのです。
ソ連崩壊後に新たに生まれた国々から、ニュージーランドやスウェーデンのような古いタイプの社会民主主義的福祉国家にいたるまで、ほぼすべての国家が・・・何らかの新自由主義理論を受け入れるか、少なくとも政策や実践の上でそれに適応している。・・・南アフリカ共和国はまたたくまに新自由主義を受け入れ、今日の中国でさえも・・・この方向に向かって突き進んでいる。・・・要するに新自由主義は言説様式として支配的なものとなったのである。それは、われわれの多くが世界を解釈し生活し理解する常識に一体化してしまうほど、思考様式に深く浸透している。
ソ連崩壊前後あたりから、様々な国で新自由主義的傾向が現れ始めたのです。
さらに、
新自由主義化のプロセスは多くの「創造的破壊」を引き起こす。旧来の制度的枠組みや諸権力に対してだけではなく(それは国家主権の伝統的形式にさえ挑戦している)、分業や社会関係、福祉制度、技術構成、ライフスタイルや思考様式、性と生殖に関する諸行為、土地への帰属意識、心的習慣に対してもである。新自由主義は、市場での交換を「それ自体が倫理であり、人々のすべての行動を導く能力をもち、これまで抱かれていたすべての倫理的信念に置きかわる」ものと評価し、市場における契約関係の重要性を強調する。それは、市場取引の範囲と頻度を最大化することで社会財は最大化されるという考え方であり、人々のすべての行動を市場の領域に導こうとする。
その浸透プロセスには、あらゆる価値観を市場へ引きずりこむ強いものがあります。
ざっくりと言い換えれば、市場での価値観を絶対的なものと見る思想です。
もともとは、チリの経済がラテンアメリカの債務危機で、成長率、資本蓄積、外国投資収益率のすべてで行き詰まりを経験したことが発端だと本書では言われています。
その結果、
よりプラグマティックであまりイデオロギー的ではない新自由主義政策が、その後数年にわたって採用された。プラグマティックな対応も含めてこれらすべては、のちの1980年代におけるイギリス(サッチャー政権)とアメリカ(レーガン政権)両国の新自由主義への転換を促す有益な先例となった。
つまり、ラテンアメリカ経済の行き詰まりから、新自由主義のイデオロギーが蔓延し、イギリスとアメリカという世界的超大国で新自由主義が採用されることにつながったのです。
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③新自由主義の浸透過程:一部エリートへの権力集中
では、新自由主義はそもそもどこから誰が提唱したのか?
具体的に新自由主義が政治の場に現れたのは、ラテンアメリカ経済の行き詰まりからです。
その大元である新自由主義の思想が提唱され始めたのは、1940年代後半です。
かの有名なフリードリヒ・フォン・ハイエクを中心としたアカデミックグループからでした。
新自由主義は、長い間公的政策の影に潜んでいた。1947年、主にアカデミズムのエコノミスト、歴史家、哲学者で構成される小規模で排他的な熱狂的唱道者の一団が、オーストラリアの著名な政治哲学者フリードリヒ・フォン・ハイエクの周囲に集まり、モンペルラン協会・・・を創設した。そこに集まった著名な人物としては、ルードヴィヒ・フォン・ミューゼス、エコノミストのミルトン・フリードマン、そして有名な社会哲学者のカール・ポパーまでが一時期そこに加わっていた。
このグループのメンバーは、個人的自由の理念に原則的に忠実であることをもって、ヨーロッパの伝統的な意味における「自由主義者」を自認した。この新自由主義的な肩書きは、彼らがアダム・スミスやデイヴィッド・リカードウ、そして言うまでもなくカール・マルクスの古典派理論に代わって19世紀後半に台頭した新古典派経済学・・・の自由市場原理を信奉していることをはっきり示唆していた。
このように、新自由主義の萌芽は1940年代にはありました。
具体的な提唱者は明言されていませんが、かの有名なハイエクとその学術グループにいたメンツが新自由主義思想の始まりとなりました。
1982~84年に訪れたメキシコやチリの債務問題に対して、レーガン政権がアメリカ財務省とIMFと手を組みました。
そこで、債務返済繰り延べを認める代わりに、新自由主義改革を実施させることに合意させました。
こうして新自由主義が広まったのです。
1982年にIMFからケインズ主義派のあらゆる影響が、スティグリッツによれば「一掃」されたことで、この手法が一般化した。それ以来IMFと世界銀行は、「自由市場原理主義」と新自由主義の正当理論を普及し実施する中心機関になった。債務国は、債務繰り延べの見返りに、福祉支出のカット、よりフレキシブルな労働市場立法、民営化などの制度改革の実行を迫られた。このようにして「構造調整」が発明された。
1940年代に新自由主義思想が花開いたのは、レーガン政権時の経済政策がきっかけだと言えます。
その後、新自由主義の蔓延により、
グローバルなネットワークが広がっただけでなく、証券化、デリバティブ、あらゆる形態の先物取引に基づいた新種の金融市場が形成された。要するに、新自由主義化が意味したのはあらゆるものの金融化だった。
新自由主義のもとで台頭しつつある階級権力の実質的な中核部分の一部を構成しているのは、CEO、会社の重役、そして資本が活動するこの聖地をとりまく金融、法律、技術部門のリーダーたち
となり、金融を中心とした階級権力が台頭するようになったのです。
コリン・クラウチも指摘していますが、新自由主義が浸透し、
企業規模の拡張が金融の世界と結びついているのは明らかだが、それと同時に、膨大な個人資産を蓄積するだけではなく、経済の大きな部分に支配権を行使するこの途方もない力は、これらの一握りの人々に政治プロセスに影響力を行使する巨大な経済権力
を与えるようになったのです。
つまり、金融の増大で恩恵を得る人々に政治的権力の集中化が生じたと言ってもいい。
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④新自由主義の正当化:一般市民にどのようにして広まったのか?
しかし、このような新自由主義的思想は、本来恩恵を得られない一般市民にとっては、とうてい受け入れられるものではありません。
では、新自由主義はどのようにその思想を一般市民に広めたのだろうか?
これにいたる回路は多様だった。企業やメディアを通じて、また市民社会を構成する無数の諸機関(大学、学校、教会、職業団体)を通じて、影響力のある強力なイデオロギーが流布された。かつて1947年にハイエクが思い描いた新自由主義思想は、こうした諸機関を通じた「長征」を経て、企業が後援し支援するシンクタンクを組織し、一部メディアを獲得し、知識人の多くを新自由主義的な思考様式に転向させて、自由の唯一の保証として新自由主義を支持する世論の気運をつくりだした。
ここで重要なのは、メディアと一部エリートだけではなく、様々な場所で新自由主義的思考が浸透したことです。
中には、大学などのアカデミックの世界や教会のような宗教にまで浸透していきます。
それにより、一般人は常に新自由主義に触れるようになります。
自然と新自由主義が正当化されるようになったのです。
伝統や文化的価値観に訴えることは、この全体にわたって大きな比重を占めている。少数の一部エリート経済権力を回復させる企図をあからさまに出せば、おそらく十分な民衆的支持を獲得しえないだろう。だが、個人的自由の大義を前進させるための計画的な試みという装いをとるならば、大衆的基盤に訴えることができるし、階級権力の回復という狙いを偽装することもできる。またいったん国家機構が新自由主義的なものに転換してしまえば、その権力を用いて、説得や取り込み、買収、脅迫を行い、その権力を永続化する上で必要な同意を維持することができるだろう。
他方、新自由主義の浸透には、民衆側の憤りを利用することも行われました。
1970年代初頭には、個人的自由や社会的公正を追求する人々は、多くの者が共通の敵とみなすものと対峙することで共通の大義をつくり上げることができた。介入主義国家と同盟する強力な企業集団がこの世界を支配しており、個人に対する抑圧と社会的不公正を生み出しているとみなされた。
個人的自由の理想を乗っ取り、それを国家の介入主義や規制政策への対立物に転じることで、資本家階級は自分たちの地位を守り、ひいてはそれを回復することさえできると考えた。新自由主義はこうしたイデオロギー的任務を果たす上で格好のものだった。だがそのためには、消費者の選択の自由ー特定の生産物に対してだけではなく、ライフスタイルや表現様式、多種多様な文化実践に対するそれーを強調する実際的な戦略によるバックアップが必要であった。新自由主義化にとって政治的にも経済的にも必要だったのは、差異化された消費主義と個人的リバタリアニズムの新自由主義的ポピュリズム文化を市場ベースで構築することであった。
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⑤まとめ
以上が、前半の内容です。
本書はその分厚さと内容の深さから、前編と後編とに分けざるをえませんでした。
まとめますと、前編では、新自由主義とは何であるか、どうその経済思想が政府等に採用されて、どのように正当化されたのかをみていきました。
具体的には以下のようにです。
- 新自由主義とは、市場の自由を重んじ、経済原理の導入を図って、個々人の幸福を最大化する思想である。
- 新自由主義の政治的起源は、1970年代のラテンアメリカ債務問題へのアメリカの介入から
- 新自由主義思想の起源は、1940年代にハイエクらのアカデミックグループ
- 新自由主義の浸透により、一部エリートや金持ちに権力の集中が起こった
- 新自由主義が市民に浸透したのは、メディアや教会など日常生活の中で新自由主義思想に触れるようになったことから
- また、新自由主義は、国家への介入主義の批判として提出され支持されてきた
前半の内容は、後半の内容への序章あるいは基礎的な部分になります。
新自由主義とはどういう内容なのかを明確にし、新自由主義の過去と浸透プロセスに重点が置かれています。
一方、後半では、新自由主義の現状と問題点及び批判が行われます。
具体的には、新自由主義が本当に資本蓄積を可能にしたのかを検討しています。
その他にも様々な指標を基にして批判考察しています。
後半はこちらです→「広がる新自由主義の理想と現実:政治経済上の問題点と批判」
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